犬が吠えども、キャラバンは進む。

Biar anjing menggonggong, kafilah tetap berlalu./インドネシアでひとを研究しているある院生の備忘録。

独立記念日と終戦記念日

 こんにちは。もうすぐインドネシア独立記念日(8月17日)ですね。

 インドネシアに夢中になってからずっと心に溜めていたことをひとまず書き記したい、という思いでこの記録を書きました。まぁ、一個人の記憶の記録、としてこの夏の記憶として、残すことができたらと思います。

 まずは、インドネシア独立記念日に歌われる私のお気に入りの歌についてです。

Indonesia Pusaka

 インドネシアのラジオなんかを聞いていると、この時期とてもよく聞く歌があります。それは、「Indonesia Pusaka」という歌で、インドネシアの第二の国家的な歌です。

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 とても綺麗な旋律で、私も思わず口ずさみたくなってしまう歌なのですが、何を謳っているかというと、ようはPusaka/父祖伝来のインドネシア。母国、愛しのインドネシア、私の生まれた場所!というような内容です。

 素敵な旋律は、ロックにしても素敵です。

youtu.be

 このようにいろいろなバージョンがあるので、様々なバージョンのPusaka Indonesiaがラジオからひっきりなしに流れます。個人的にとても好きなので聞いていたら、寮のお手伝いさんに「なぜPusaka Indonesiaを聞いてるの」と笑われました。国歌ではないのですが、もはや国歌よりもよく聞くナショナルソングと化しているので、それを好んで聞いている外国人という構図は少しおかしく感じられたようです。小学生なんかがイベントなどで合唱したりもする曲です。

 独立記念日である8月17日には、インドネシア各地でインドネシアの独立を記念し祝う催し、お祭りが開催されます。私も一度参加したことがあります。

独立記念日終戦記念日

 しかし8月の初め、この時期に「お祭り気分」になる違和感というものを私は毎年感じます。インドネシアが独立した記念日、お祭り気分になるには充分な理由です。インドネシアが大好きならなおのこと、お祭り気分になって然るべきです。なのに、なぜかしら。心から楽しめない。そこには、大きく分けて二つの理由がありました。

 まず、私がお祭り気分になることに違和感を感じるのです。なぜならば、日本に毎年やってくる8月の初旬が「お祭り気分」からほど遠い雰囲気に包まれているからです。

 日本の8月初旬と言えば、テレビやラジオでは「戦争特集」が良く流れてきます。戦争は良くない、辛い、悲しい、二度と起こすまい、そういった決心を新たにする時期です。ヒロシマナガサキに続き、「終戦記念日」と、第二次世界大戦の悲惨さを追憶する時期です。そんな薄暗い気分が、うだるような暑さとセミの喧騒、麦茶の中に入れた氷の冷たさと共に、8月の初旬、日本の真夏には染みこんでいる。少なくとも私の中では、日本の真夏に「戦争の悲惨さ」が染みついています。

 でも、8月のインドネシアは、新たな第一歩、始まりを記念し祝う雰囲気になります。日本の悲惨で苦しく、悲しい雰囲気とは全く異なります。

 そして、そもそもインドネシアってどっから独立したのでしょうか?インドネシアが独立する直前、インドネシアを「占領」していたのは、「日本」です。つまり、インドネシア独立記念日は、「日本」からの独立を祝う日でもあるのです。

 これが、私の感じる第二の違和感。というより、息苦しさといった方が正しいかもしれません。「日本の占領から解放されたインドネシア」、この歴史的事実が、インドネシア独立記念日に際して心からお祭り気分になることを阻害するのです。政治的にいろいろな見解があることを承知していますが、それでもなお事実として日本軍がインドネシア独立の直前までインドネシアにいたことは確かですし、日本の「終戦記念日」の二日後がインドネシアの「独立記念日」なのです。

そして、コインは投げられた

 私にとって、「終戦記念日」と「独立記念日」は、一枚のコインに描かれた模様のようでした。コインの裏側、あるいは、表側、どちらにせよ、片側に足を付けて立っていたら決して見ることのなかったはずの景色を私は見ている。そんな気分になるのです。

 そして、双方に想いを寄せることができる自分を大切にしたいと思う。しかし、同時に、双方の景色を見たあとで、もう一つの違和感を発見する。その違和感は最近の日本の「戦争」追憶が、「被害者」の記憶に偏っていることに起因します。日本の戦後における無責任の構造に関しては『敗北を抱きしめて』*1などが指摘していますが、現在の日本社会における戦争記憶の多くは「殺された罪なき人びと」、主に「日本人」に関する記憶であり、無責任を通り越して被害者としてのイメージを創り上げているような気がします。インドネシアが日本の敗戦によって日本から解放され、その二日後に独立した、という事実を目の当たりにした時、私は自分がどれだけ、かの戦争における日本の加害行為を認識していないのかということを知りました。この時期に語られる「戦争」に彼らが登場してこないことを踏まえると日本社会は、日本の「加害」に関する戦争記憶を恐ろしい速さで忘却した(あるいは、しようとしている)のかもしれないとすら思います。現日本社会における戦争記憶の中に日本の「殺した」「傷つけた」記憶を見聞きすることは、あまり多くないと思います。多くの「日本人」が殺され、傷つけられたのと同じくらい、多くの人が「日本人」に殺され、傷つけられた。にもかかわらず、現日本社会の戦争に対する態度は、あまりも逃避的すぎやしないか。時にその被害者意識は国までもを「加害者」とし、かの戦争における「加害者」としての日本人の行為の責任を負わせようとする。国を理由にかの残虐な行為、殺戮に対する責任を放棄して然るべきとするならば、近年の戦争の多くに対して、誰一人として責任を負わずして良しということになるでしょう。

 また、日本の戦争に対するこうした被害者意識は、簡単に加害への根拠となる発想を生み出すことにも不安を覚えます。つまり、やられる前に、やっちまえ、となるわけです。「戦争の被害者になりたくない」という反戦思想は、被害者にならないための加害を正当化する好戦的な思想へと、いとも簡単にひっくり返ります。戦争における加害を忘却した結果、加害に対する反省や自戒、自制というものを学ぶ機会を失い、「戦争」を繰り返すわけです。物事の一面的な理解は、誤解であり、そこに囚われる態度はある種の逃避である。コインの片側に安住してはならないのです。

 初めて独立記念日インドネシアで過ごしたとき、私は、インドネシア独立記念日に参加してお祝いすることが、許されないようなそんな気分になりました。しかし、独立記念日のお祭りに連れていってくれた友人は、「歴史的にいろいろあったけど、それは歴史の話、今の私たちは、違う」と言いました。この言葉を素直に受け取り、この息苦しさを払拭することは、私にはまだできません。払拭すべきことなのかも、正直わからないです。ですが、彼の言った「今の私たち」こそが、どうあるべきか、それを考えることはできる。

 そんな想いを抱きながら、今年も8月17日は、大切な友人と大好きなインドネシアの誕生を祝いたいと思います。

 

インドネシア、大好きよ、独立記念日、おめでとう。

Indonesia, Selamat Hari Kemerdekaan, Saya selalu jatuh cinta ke Indonesia deh!

 

 

*1:ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて<上><下>』2004年/2001年旧版/1999年原著"Embracing Defeat: Japanin the Wake of World War ll"

おしりがからいと熱が出る【Nasi Udok Lombok】

こんにちは!先日からお腹の調子がすぐれません。

とてもお尻がからいです。

このお尻のからさ、お腹の調子の悪さ、何が原因か思い当たる節があります。

それは先日食べた、Nasi Udokと言われるご飯です。

店の前で食べてもよいのですが、お持ち帰りにしたいって言うと紙でぐるぐる巻いてビニール袋に入れてスプーンつけてくれます。クレープみたいです。

お値段は、RP.13.000(約120円)。一食分の値段として、このご飯の量を考えると少しお高めです。

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この茶色いのは卵で、唯一この味付け卵は辛くないのですが、その他アボン(しっとりふりかけ的な味の濃い魚のほぐしだったり鶏肉のそぼろ的な物)がめちゃくちゃ辛い。

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ご飯も結構多めに入れてくれますが、私はこのアボンが辛すぎて一度では食べきれませんでした。ご飯が圧倒的に足りません。

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そのため、その日の夕飯もこのNasi Udokのアボン(残り)を新たに炊いたモロコシご飯と一緒に・・・・。

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永遠に、おかずが残ります・・・・。

 

そしてこの3日後、お尻が辛くなってきます。

食べ物とお尻の話を一緒にしてはいけない気もするのですが、仕方ありません。

なにせ、おしりがからいのですから・・・。

お尻が辛い、とはどんな状況かというと、つまり辛いもの食べた後にうんこも辛くなって、お尻が辛いうんこのためにひりひりするという状況ですね。

お腹の調子もすぐれませんし(辛いし痛い)、なんか昨日は38度越えの熱が出たし(辛くて熱くなった?)、さっきもお尻は辛かったです(痛い)。

ちなみに、このNasi Udok、そんなに辛くないやつもあるらしいです。

私が買ってきた奴は、Nasi UdokNasi Udok Lombok、ロンボック地方のNasi Udokだったらしくて、寮のお手伝いさんたちも、「それは辛いわよー!!!美味しいけど!」って言っていたくらいです。辛いものになれている彼女達が特別辛いというくらいですから、相当な辛さだったのでしょう・・・。でも、おいしかったんだもの・・・・食べちゃったわよ・・・。お尻が辛くなったわ・・・。辛さの要因は、もちろんCabe(唐辛子)です。そういえば、渋谷にCabeというインドネシア料理屋さんがあるらしいです。いったことないですけど。

以上、このお尻が辛いという感想も含めて、先日食べたNasih Udok Lombokについての記録でした。

 

辛い食べ物はおいしいですけど、食べる際にはぜひお腹とお尻に気を付けてください。

 

 

Selamat Idur Fitri 断食明け大祭だよ!レバラン!

こんにちは!先週末(6月25日)は楽しみにしていた断食明け大祭でした!

断食明け大祭は、断食月が終了した翌日に行われます。今年のインドネシアでは、6月25日(日)~26日(月)が イドゥル・フィトリ(1438年断食明け)*1として祝日に指定されています。イドゥル・フィトリの間、まるでお盆のようにさまざまな地域か激しい混雑状態になるので、知人の日本人の方などは「やることもないし、どこもかしこも混むので日本に帰る」と言っておりました。逆に、出稼ぎ先となりやすいジャカルタなどは、普段の混雑はどこへやら、かなり静かになるようです。

ちなみに前月の5月25日はキリスト教昇天祭、5月の13日は仏教大祭のワイサックが祝日として指定されており、多民族多宗教国家を感じることができます。宗教が異なる人びとにとってそれぞれの祝日は、ただのお休みという感じになりますが、いろいろな宗教の大祭が其々公的な祝日として指定されているのは、大変興味深いですね。なんであろうと休日は嬉しいものですからね。

ついでにといっては何ですが、前回の記録で「断食明け大祭を楽しむために、プアサ(断食)を頑張るだ!」と意気込んでいた私でしたが、なんということでしょう、帰省当日にメンス(生理)になってしまいました・・・。ムスリムであっても生理中の断食、お祈りは免除ですので、あえなく断念。結果としては、居候をさせてもらうおうちのお友達も断食・お祈り免除中でしたので、二人でもぐもぐご飯を食べていました。レストランには家族連れなどもおり、そんなに気に病まずにご飯を食べまくりました。以下、そんな感じで迎えた断食明け大祭の記録です。

 

Idur Fitri/Lebaran/断食明け大祭とは

断食明け大祭、インドネシア語発音だと「イドゥル・フィトゥリ」、アラビア語の日本語表記ですと「イド・アル=フィトル」になるようです。ちなみにインドネシア語だと「レバラン/ Lebaran」となります*2ラマダ断食月の明けを祝うムスリムにとってのお正月的な、一年で一番大きなお祭りです。

イド・アル=フィトル - Wikipedia

今年は、6月25日(日)~26日(月)が イドゥル・フィトリ(1438年断食明け)とされていましたが、どうやら断食明けが正式に決まるのは月の満ち欠けなどを専門家が見て決めるらしく、前々日まで決まらないというようなこともあるみたいです。確かに断食月明けがカレンダー上の今週末に迫ってきているにもかかわらず、「何日かはまだしらない」と言っている人がいました。正式発表は大統領からあるらしい・・・・・*3。今年は、カレンダーの祝日の初日が断食明け大祭となったようです。

ラマダン断食については、前回、前々回に記録しましたので興味がある方はご覧ください。

Takbiran/断食最終日の夜

断食明け大祭の前日夜は、断食最終日Takbiranとしてはやくもお祭りムードが始まります。さながら除夜の鐘かの如くアザーンスペシャ*4の音がモスクから流れ続けていました。ドコドコドコドコ~アッラー~アクバル~ドコドコドコドコといった感じです。3時間で100回くらいアッラーをアクバルした気がします。そこかしこで花火が上がり、交通整理の笛の音と共に素晴らしい喧噪を生み出していました。

ユーチューブにインドネシアのTakbiran2017が上がっていましたので、ぜひ流しながら記事を読んで雰囲気を感じてください。

www.youtube.com

Shalat Ied/断食明け大祭、朝のお祈り

断食明け大祭の朝は、ムスリムにとっての元旦のようなもの。

初詣のごとく、一年の中でも特別なお祈りを大勢の人が集まってします。

私も誘われたのでついていくことにしました。ママ*5がMukena(ムケナ)と呼ばれるお祈りの時の服を貸してくれました。「朝の6時半に出発よ!」と言われていたので、朝のシャワーを浴びて準備完了させて待っていました。(出発は結局7時過ぎでした。)

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かわいい・・・・。でもムケナって白い色が正式な色だった気がするけどまぁいいか、かわいいし・・・。

向かう先は、モスク、ではなく近所の大きな運動公園。たくさんの人が集まりモスクには収まりきらないため、運動公園がソラット・イードの会場となるようです。会場に向けて多くの人が歩いていきます。

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なんか、奥の方の人もピンクのムケナ着ていますね・・・。ちなみに私の隣でお祈りしていた女の子は「アナと雪の女王」の柄のムケナを着ていました。かわいい・・・青い、アナとエルサとオラフが散りばめられたムケナ・・・・。かわいいね・・・。

さらに会場へと向かう道には、ずらりと物乞いの方々が並んでいました。

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ムスリムには喜捨という習慣があり、持てる者は、持たぬ者に与えることが善とされています。そのため、お祈り帰りに「喜捨」を行う人も多くいるので物乞いをする人たちもこのように道端に待機しているわけです。

Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin(イドゥル・フィトゥリおめでとう。これからもよろしくお願いします。)

 

「Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin」

これは、イドゥル・フィトゥリ/レバランの挨拶です。直訳すると「イドゥル・フィトリの日おめでとう。いろいろとごめんなさい。」となるのですが、このごめんなさいはこれまでの心の内側・外側(実際に)犯してしまった罪への赦しを請う、という意味になるようです。年賀状の「昨年はお世話になりました(いろいろとご迷惑をおかけいたしました)」にも通じるものがあるような気がします。私はかなり大雑把に「これからもよろしくお願いします」としましたが、いろいろな解釈ができると思います。

ソラット・イードが終わると、友人や親せきのお家を訪ねて新年のご挨拶回りをします。あるいは、やってくるお客様をおうちで出迎えるという場合もあるようです。

このあいさつ回りでは、みなさん新品のお気に入り服を着てゆきます。私もソラット・イードを終えて家に帰ったあと、大急ぎで支度をしました。

おうちを直接訪れて挨拶に行けない場合などは、お菓子の詰め合わせや果物などを贈ります。お仕事関係の人などはこうした贈り物で済ませることも多いようです。

これらは、Parsel(パルセル)と呼ばれます。

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この時期になるとスーパーや果物屋さんでは、こうした「イドゥル・フィトリ用の贈り物セット」が店頭にずらりと並びます。

お歳暮やお年賀といったものにも似ているとおもいました。

ちなみにお年玉的な感じで、子供たちにお金を渡すこともあるようで、新品のお金を子供たちに配っている場面にも出くわしました。現金を直接渡しており、子供たちはテンションが上がってそのままお金を振り回していました。これは、THR(Tunjangan Hari Raya/レバラン手当)と言われるものですが、子供たちだけではなく会社からボーナスとして大人に支給されることもあります。

まとめ
  • バラン前日の夜からお祭り騒ぎが始まる
  • 運動場で朝のお祈りをする
  • お祈り用の服は本当は白な気がするけどかわいいのでもいい。
  • お祈りが終わった後の物乞いさんたちのアタックがすごい
  • お祈りが終わった後は、新年のあいさつ回り。
  • Parselというお年賀的なもの、THRというお年玉的なもの(会社から社員へ支給されること)もある。
  • めっちゃお客さん来て、楽しかったけど疲れた。

それでは、皆様の元にもまた良い一年が訪れますことを祈って、

Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin!

 

 

*1:ムスリム歴(ヒジュラ歴)によって指定される日にちなので毎年異なります

*2:前回、前々回とラマダンについて記事を書いてみて、ムスリム関連の用語が日本語発音のアラビア語インドネシア語発音のアラビア語インドネシア語、日本語と入り乱れていてわかりにくいことになってしまうと気が付きました。申し訳ないです。できる限り統一を試みますが、これもまた文化の衝突点の面白さと思っていただければ幸いです。

*3:そのために25日~26日の二日間が「断食明け大祭」として指定されていると考えられます。お祭りは25日の一日しかありませんでした。

*4:私が勝手に名付けました。通常のお祈り合図としてのアザーンに比べてより華やかで長い。

*5:こっちでお世話になってるインドネシア人のお母さんです

プアサ(水あり)をやってみた:イドゥル・フィトリ(断食明け大祭)まで頑張る

こんばんは。イドゥル・フィトリ(断食明け大祭)が今週末へと近づいてきましたね!

前回の記事ではラマダンについての概要を書きましたので、興味がある方は参考にしてください。

gulamerah.hatenadiary.com

前回の記事で書いたように、ラマダンはクリスマス前の断食と似ていて、断食月が終わる日はまさにクリスマス!当日!多くのインドネシア人が家族と過ごすために大移動をする時期なので、私の寮は30室ある内、7部屋(ワンルームなので一人一部屋、つまりいつもは30人いるところ7人)しか残っておりません・・・。そして実は私もレバラン/イドゥル・フィトリ/断食明け大祭に向けて、馴染みの土地に帰る予定を立てております。とても楽しみ!

 

さて、せっかく断食明け大祭を楽しみたいなら、やっぱり断食をやったほうがより楽しめるのではないかという安易な発想によって先日から断食をしております。

ただ、前回ガチで水も飲まない断食に挑戦したところ体調を崩しましたので、無理は良くないと思い、水分はオーケーということにしました。

ちなみにこの断食、妊婦さん、生理中の女性、病人などはやらなくていいことになっているのです。その代り元気になったら、休んだ日数分振り替えましょうね、という話もあるみたい。そういうことなので、断食やって病人になってしまっては断食どころかレバランも楽しめないではないかと思っての判断です。

前回は、とりあえずガチ断食つらかったという記録だったわけですが、今回は食べたものなどをちらほら紹介しつつ、個人それぞれの断食のやり方なんかに触れたいと思います。つまり、実際のとこ、どんな感じで断食をやっているのかということです。

 

 

個人的断食、今日一日の流れ

AM:3:00  サフールの時間まで眠れなかった私(昼寝のしすぎですね)

AM:3:30  お隣に住む子と共同キッチンで鉢合わせ、一緒にサフールをする。

AM:4:00  ようやく眠くなってきたので眠る。

AM:10:00  起床

休暇のチケットの手配とかいろいろ、作業。水ありだと、そんなに気が散らず作業ができることが判明。

PM:16:00  ランドリーを回収いくついでに断食明けに食べるご飯を買いに行く。

PM:17:30   断食明け

PM:18:00  イフタールを食べる。お隣の子を誘ったがもう既に食べた後だった。お祈り中にドアノックしてごめんよー・・・・。

 

前回に比べて、苦痛はかなり減りました。実際のとこ、口渇感と空腹感の両方を味わってこその断食なのですが、またしても病院のお世話になるなんてことはどうしても避けたい・・・。水を飲んでいるので、ご飯を食べ忘れた日みたいな感じでした。

と、イフタール(夕食後)は余裕が出てきますが、実際のところ15時から17時までの間の空腹は結構なものです。断食明け30分前なんかになってくると、私は歌を歌ったり、ゲームをひたすらやってます。Proレベルならフルコン出せました*1。よって、水あり断食中の作業集中力は中の下です。

私が食べたもの

サフール:目玉焼きとレタスのサンドウィッチ、マンゴスチン

断食明け:エス・ブワ(フルーツポンチ)。

イフタール:アヤンゴレン(フライドチキン)とご飯。

 

この中で私が一番写真を載せたいのはマンゴスチンなので、マンゴスチンの写真を載せます。本当においしいし、見た目かわいいし、大好きです。最近当たりを選べるようになったので、今度マンゴスチンについて記事を書きたいです。

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水くらい飲まないと体調悪くなっちゃうよねっていう

それで、じゃあ断食中にレストランで食事をしたり、道端でタバコ吸ってる人が一切いないのか?

全くいないといえば、嘘になります。土地柄もかなり影響するとは思いますが、昼間のレストランで食事する人、道端でタバコ吸ってる人、います。そもそも彼らがムスリムであるか、別の宗教を持っているのかがわからないので、正直、なんとも言えないです。

一度、思わず外で水を口にしてしまったとき、目が合ってしまった駐車場係のおじさんに「断食開けてないのにごめんなさい*2」って言ったことがあります。すると、彼、ニヤッと笑ってミネラルウォーターのボトルをチラ見せしてきました・・・。

駐車場係のおじさんなんかは炎天下にいなきゃならないわけです。そりゃ水飲まなきゃ熱中症で死んでしまいます。真剣に断食をして熱中症で亡くなる方もいるようなので、気を付けてほしいものです。

彼がムスリムであるか、そうでないかはさておき、私はその時、水ありで断食を継続しようかなと思ったのでした。

 

まとめ
  • 断食明け大祭/イドゥル・フィトリ/レバランがすごい楽しみ。
  • マンゴスチン(マンギス)うまい
  • 水ありの断食は、微妙に作業ができる。(Masフルコンは無理*3
  • ラマダン中、昼間のレストランで食事をするひと、道端でタバコを吸う人はいる。
  • 駐車場係のおじさんは本当に熱中症に気を付けてほしい。

*1:シンデレラガールズ/スターライトステージ、略してデレステと呼ばれる音楽ゲームの話です。

*2:断食中は、目の前で飲食をする際などは断ることがマナーとされているようです。先にあげた断食をお休みしているひとたち(妊婦、生理中の女性、病人等)も食事をする際に断食中の人がいた場合「ごめんね」の一言を言っていました。

*3:デレステの話です。

プアサ(断食)をやってみた

こんばんは。Selamat berbuka puasa !(断食明けだよ、おめでとう!)

 実は昨日断食をしてみたので、その感想を感覚が新鮮なうちに欠き残しておこうと思います。思いのほか長くなってしまったので、目次を付けました。ちなみにラマダンネタはまだ尽きていないので、今後もラマダン中にいくつか記録できたらと思います。 

  • ラマダンとは
  • 「プアサ(断食)をやってみた」
    •  個人的断食、一日の流れ
    • 感想1:水分ってホント大事
    • 感想2:空腹時に買い物に行ってはいけない
  • 断食の記録、まとめ

ラマダンとは

 「ラマダン」と聞いて思い当たる方も、あるいは今年の今日という日付から、既にお気づきの方も多いとは思いますが、インドネシアでこの時期に断食をするひとは珍しくありません。この断食は宗教行事として行われるものであり、地域によって差はあれどムスリムの方の多くは断食をしていると思われます。もちろん中東のムスリムの方、日本のムスリムの方を含め、地球上のそれぞれのモスクが一斉に行う行事となっています。クリスマスや正月が、大きくずれることがないのと同じです。ただし、西暦ではなく、イスラムカレンダー・ムスリムカレンダーとも呼ばれるヒジュラ歴によって定められているので、毎年1カ月くらいずつ早まって行きます。

 今年は、2017年5月27日から始まり6月24日に終わります。去年は確か7月でしたので、日本にいたムスリムの友達は本当に大変だったと思います・・・・。なにせ、日中水を飲むことが許されないので、東京の灼熱の中、通常営業する社会に合わせつつ、断食というのはかなりハードかと思います。

 ラマダンは、イスラム教を信仰るムスリムの方たちにとっては一年で一番大きなイベントと言っても過言ではありません。ラマダンが終わった後多くの人が休暇をとり、帰省したり、友人の家を訪ねて、みんなでご馳走を食べたりと、お祭り気分が蔓延します。個人的な感覚ですとラマダン終わりの休暇、レバレン休暇と呼ばれる時期は、「お盆」とか「正月」に近い気がします。

 しかし、あるインドネシア人の友人は、「レバランはムスリムのクリスマスなんだよー」と言っていました。確かにクリスチャンでもクリスマス前の一ヶ月は、断食をします。なんか固いケーキみたいなのをひたすら食べる期間があったと思います。それを踏まえると、断食とお祭り・帰省がセットになったこの時期を「ムスリムのクリスマス」と称するのは的を得ていると思います。

 そんなわけで、ラマダン月の一か月間、ムスリムの方たちは日の出から日没まで水を含む一切の物を口にしません。しかし、一か月間飲まず食わずというわけではなく、各地域の日の出と日没の時間に合わせて断食をします。東京代々木にある東京ジャーミーというトルコ系のモスクは、東京のラマダンカレンダーを公開していますので興味がある方はぜひご覧ください。

 断食の時間は日照時間に合わせて行うので、この時期の東京は私が今いるインドネシアジャワ島なんかよりもずっと長いです。ここでは、4時24分から17時30分までの13時間ちょっとですが、東京は2時くらいから19時くらいまでです・・・。長い・・・・。

tokyocamii.org

またこちらでは、なぜムスリムラマダンを必要とするのかということについての説明がなされています。私はムスリムでもなく、専門家でもありませんので、大手を振って説明をする勇気がありません・・・。興味がある方はこちらを併せてご覧ください。

tokyocamii.org

 

前置きがかなり長くなってしまいましたが、それでは本題に入ります。

 

「プアサ(断食)をやってみた」

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死に至る病、とまではいかないけれども

こんばんわ。初めての記事です。突然ですが、病を患いました。

僕は今、インドネシアにいます。

このブログは当初、僕がインドネシアで生活するためにビザの取得が難航したり、ビザ取得後のKITAS(KARTU IZIN TINGGAL TERBATAS/ Limited Stay Permit Card)取得の書類収集に戸惑ったり、お金のない院生から容赦なくむしり取られる許可証や証紙を発行するための高額な手数料を愚痴ったりするという目的のために開設しました。

しかし、昨年度から申請手続きを初めているにもかかわらず、未だに全ての手続きが完了していません。なんとなく、ブログを書くにも書けないというような状況です。

それでもなお、僕は筆をとりました・・・!

なぜかというと、

nagairei.hateblo.jp

ちょうど僕が先日から読んでいる『死に至る病』を知り合いがブログに載せたからです。さらに、幸運なことに、私は今、「病に、罹っている」。

そうか、なんかこういう雰囲気もかっこいいじゃん。事務手続き手順の体験記だけじゃつまらないよ。せっかくだし、病を患ってることでも書こうかな。という軽い気持ちで、

そういうことで、病(病院の診断では「炎症」)について書きたいと思う。

インドネシアとか全然関係ない。Sakit Tenggorokan. 哲学も関係ない。

今の状況を簡潔に記するならば、めっちゃのど痛い、禁煙禁酒どころではない。言葉を発するのさえ憚られる。

ことの発端(病の発端)を探るべく、この病を詳細に描くのであれば、実は今月は日本―インドネシアインドネシア国内をびゅんびゅん飛び回り、事務手続きが難航し、疲労とストレスがたまっていたことがそもそもの元凶だったように思われる。そして、ある夜、喉の不快感は39度の高熱へと進化した。死ぬかと思った。

僕はインドネシアでよくわからない高熱*1を発することが度々あるので、今回は体温計を所持していた。夜になると38度を越える高熱が二日続いたので、さすがに病院に行った。Go‐JEKというバイクタクシー*2アプリを使用した。バイクに乗って病院に行ったことは、大変インドネシアらしいことのように思われるので追記しておく。

そして、医者にもらった解熱剤は大変よく効き、咳止め、鼻水及び痰を抑える薬、抗炎症剤ももらえた。熱も下がり、最も炎症を起こしていた鼻腔の痛みはなくなった。しかし、薬も無事飲み終わる頃、喉が痛みだしたのである。

以下の写真は、風邪の時に良いと言われてお隣さんからもらった「飲むハチミツ」と偶然僕が持っていた同じ製品の飴。

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 このハチミツ、一日に3袋までしかぺろぺろしてはいけないのだが、ぺろぺろしている間は、ハーブとショウガ、ハチミツがものすごく喉に染みて癒しているような感じがする。治る気配はない。病院からもらってきた抗炎症剤を含むお薬たちも先ほど飲み切ってしまった。治る気配はない。

 明日は一日、外へ出る予定はない。先ほど気が付いたのだが、ひととの会話すら、声帯を震わせて音を発するという行為すら、現在の僕の喉にはつらい所業のようである。

これはもう明日一日と言わず、しばらくだんまりでいるしかない。この病は、僕の時間と体力、気力のみならず、言葉すら奪っていったのである。この喪失によって、普通の人といわれる健常者、なんか普通に元気な人ってほんとにすごい幸せなんだなと大げさな感傷を抱く僕である。歩いて、考えて、話をするということが、先週からの僕にはとてつもなく困難なことである。この困難は、いつまで続くのか。

 何かについて絶望することはまだ決して本来的な絶望ではない[キルケゴール 1939:p.36]。*3

 幸いなことに、キルケゴールも、お医者も「この病は死に至る病、ではない」との見解を示している。おそらく、彼らは正しいだろう。そして、来月の僕はケロッと生きているのだろう。だが、僕は、今、本当に言葉を発せなくてつらい。授業中のおしゃべりが原因で、小学校の成績表(特に態度の評価点)がすこぶる悪かった僕である。話をしていないと息ができないと本気で思っているし、実際に息苦しい。言葉が腹の底から這いあがってくるのに、口を開くことは許されないのだ。そのために、ブログの記事がまとまりのない言葉の詰め合わせになっているのだ。

とにかく、このつらさを書き残しておくことで、来月のケロッと生きている僕が、すこしでも有り難さを思い出してくれることを願う。そして、来月の僕がケロッと生きていることを願う。

 

*1:インドネシアで38度以上の高熱を発すると真っ先に「デング熱」を疑われ血液検査をされます。筆者はすでに3回、インドネシアで高熱を発していますが、初回は自身が驚いて夜中に38度の発熱状態で緊急外来に訪れたため血液検査をされました。

*2:ようはバイクの二人乗り、後ろに乗せて目的地まで運んでくれる。

*3:死に至る病キルケゴール著/斎藤信治訳 岩波文庫