犬が吠えども、キャラバンは進む。

Biar anjing menggonggong, kafilah tetap berlalu./インドネシアでひとを研究しているある院生の備忘録。

『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』から考える「見栄」の人間らしさについて

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アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は、アメリカのSF作家フィリップ・K・ディックの作品の一つ、非常に有名なSF小説です。1968年に初版原作(英語)が出版され、その一年後1969年には日本語訳が出版されています。原題や邦訳題のパロディなどが多く見られることからもSF作品として一般的にかなり人気の高い作品だということがわかります。むしろパロディから原作を知ったというひとも多いのではないでしょうか。私もその一人です。私は、初音ミクというボーカロイドを使用した作曲者ささくれPのアルバムタイトル「ボーカロイドは不死鳥の夢をみるか」から本作品を知りました。

 今回は、この小説に描かれる「見栄」、そしてインドネシアで体験された「見栄」に関する話などから、人間らしさとしての「見栄*1を考えてみたいと思います。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』に描かれる「電気羊」と人間の「見栄」

 この小説の主人公が生きる荒廃した地球では「生物」がとても珍しく、高価なものとなっている。それをペット愛玩動物として所持するということは、その購入費、維持費を踏まえると莫大な無駄金あるいは余裕の証明である。しかし、「電気羊」はそういった本物の生物を所持できない輩が所持する偽造品なのである。つまり、「電気羊」は「生物を愛玩具として所持し、莫大な無駄金の消費をしている人間であると周囲を欺くための製品」なのである。なぜそこまでして周囲を欺く必要があるのか、その根拠となる感情が見栄である。自分の実像、現実とは異なる虚像の実現を手助けする製品、それが「電気羊」なのである。見栄という隙間のような人間感情に付け込んだ巧妙な製品である。修理の際は「動物病院」と外装を偽ったトラックで回収に出向いてくれる手の込みようである。

 主人公の妻は、「電気羊しか持てないような私たち」とか、あるいは電気羊しか買えない夫を「甲斐性がない」といった感じで責め立てたりする。しかし、電気羊だって安くない、壊れた時なんかは周囲にばれやしないかと気を揉んだりする。見栄を張るがために問題が増えているというのも大変馬鹿らしく、興味深い。これではまるで「悩みの種」を買ったようではないか。虚像を取り繕うのも楽じゃない、見栄を張るのだって楽ではない、それ相応の努力と金が必要なのである。

インドネシアのある村における「見栄」※友人談

 私のある友人は、知り合いにお金を貸した。なにか仕事、あるいは事業に関する借金であったようだ。しかし、結論から言うと、貸した金は戻ってこなかったし、一部は事業に使用されることなく、レバラン休暇の際に着る衣装代になっていたらしい。

 新しい服代に友人が出資したつもりで出した金が使われたかどうかはさておき*2、友人はひどく消沈しているようだった。お金が返ってこないということよりも、異なる目的で消費されてしまったということに対して憤りを感じているようだった。一応、新調された服を見て知人を問い詰めたらしいが、「去年と同じ服では恥ずかしい」という答えが返ってきたらしい。まぁ、要するに見栄である。個人的にとはいえ事業資金として借りたはずの金を服代に回さなければ服を新調できない経済状況で、あえて服を新調するという虚像の実現である。現実にそぐわない虚像の実現に、友人の金が使われた(と友人自身は感じている)のである。

 友人も大金持ちなわけではないので、事業資金などというまとまったお金をかき集めるのに多少苦労していた。にもかかわらず、というわけだ。

 しかし、この話にはもうひとり見栄を張った人がいる。それは金を貸した友人である。苦労しなければ出せないような額の金を貸す、というのもまた見栄である。なければないと、貸せないと現実のままに対応すればよいところを、あえて貸したわけだから、無意識に「それぐらいの金を貸せる余裕のある人」という虚像を実現するという見栄を張ったわけである。そしてその見栄が、その後の憤りを増幅させている気もする。

「見栄」という人間らしさ

 見栄というのは、なんと滑稽であろうか。見栄とは虚像の実現願望である。これが理想の実現願望であったら、それは人生の指針になりえるような重要な願望である。虚像の実現と理想の実現は一体何が異なるのだろうか。

 虚像と理想、似通ってはいるが、やはり全然違う。それぞれが実現した後に現在する状況の違いは、明らかである。虚像は実現しても虚像のままであり、理想は実現すれば現実になる。「見栄」と言われてしまうような滑稽な実現努力は、おそらく虚像の実現努力のことを指している。虚像と理想を見間違えるひとは多い、虚像に踊らされないようにしたいものだ。多くの人がその人生の大半を虚像の実現のためにあくせく努力をしているのを見ていると、吐き気がしてくる。虚像と理想の取り違えは、周囲にも良い影響をもたらさないので早急にやめていただきたい。

 しかし、『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』において描かれる「見栄」は、人間らしさの象徴である。「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」という象徴的な問いは、つまり、人間らしくないアンドロイドが、「電気羊」という見栄を根拠とした価値観によって作製された物体に対して、それを所持したいという願望(夢)を抱くのか?という問いである。

 読者は、前半で主人公の電気羊とそれに纏わる一連の行動を異世界の「謎の価値観」を笑いながらも、後半になるにつれこの非合理的な生産性のない滑稽な願望に人間らしさという価値を認めることになるだろう。そして、最後に発せられる「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」という主人公の問い、そこから理解される人間らしさに関する危機感に共感するのである。人間らしさ(見栄を根拠とした電気羊に対する所持欲という非合理的な願望、価値観)というものが、アンドロイドという人間らしくなかったはずの何かによって再現された場合、私たちの「人間らしさ」はもはや人間だけのものではなくなるのだ。アンドロイドが見栄を張る、その滑稽さは私たちにとって全く愉快ではない。その非合理性を、譲るわけにはいかないのである。

 そう考えると友人がインドネシアで体験した「見栄」による一連の出来事は、友人の納得できずに不快な気分なったという彼の感情を含めて、とても人間らしい話なのではないだろうか。私たちは、その人間らしさのせいで日々七転八倒しながら生きている。不要な鬱憤を溜めこんだり、物に八つ当たりして壊したり、憂鬱になったりする。人間らしさというと(これもある種の人間の見栄で)非合理的な「優しさ」とか「幸せ」とか俗にいう「道徳」を論いたくなるが、しかし、「見栄」のような滑稽な感情も、人間らしさといえるのではないだろうか。このような滑稽な感情のせいで溜めこんだ鬱憤や憂鬱で自他を破壊するようなことがあってはならない(この発想もまた人間らしい謎の非合理な「優しさ」や「共感」などを根拠とする)が、同時にこのような滑稽な感情こそが人間らしさなのだ。滑稽なのだ、我ら。

そして、あなたも電気羊の夢を見る

 「電気羊」をめぐる主人公の行動、インドネシアにおける友人知人の行動は、その世界の常識を実感できない外部の人間にとって滑稽な行動と認識される。少なくとも私は電気羊を見たこともなければ、存在するとも思っていない。私にとって全く未知の、価値のないものに、必死でしがみつこうとしている主人公の一挙一動は異質で愉快だ。しかし、頭のどこかでこの滑稽さは現実世界の人間のパロディであることに気付いた時の悪寒は、いまでも私の世界を蝕んでいる気がする。あるいは、その浸食は、認識の相対化という浄化なのかもしれない。

 自分にとっての未知の価値観とそれに依拠する他人の行動に関して、すぐさま自身の価値観を相対化して、共感したり、理解することは難しい。そもそも人間の行動に、生命に、真の意義や理由が明確に公平に与えられたことはない。それは、宗教だったり、神話だったり、周囲の人間から、与えられたり、教えられたりする。あるいは自分自身で決めるというひともいるだろう。この価値観の生成過程から、私たち人間が全人類共通の価値観を共通の対象に対して持つことはほぼ不可能に近いということがわかると思う。

 それでも、いつかあなたは「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」という主人公の危機感を共有するはずだ。例えあなたが「電気羊」を見たこともなければ、その存在を信じていなかったとしても、彼にとっての電気羊の重要さを理解し、その危機感に共感することができる。その「電気羊」に心当たりがある人は、少なくないはずだ。

 私、あるいはあなたが、一見して全く未知の価値観に遭遇した時、それがどんな価値観であっても、面白いとは思っても、決してそこに優劣の基準を持ち込むことはできないし、否定することもできない。あなたの価値観も、所詮は「電気羊」であり、それが「人間らしさ」なのである。そして今日も私たちは、人間らしく「電気羊」の夢をみている。

*1:見え・見栄・見得 とは:〔動詞「見える」の連用形から。「見栄」「見得」は当て字〕
①見た目。外見。みば。みかけ。体裁。 「 -を飾る」
②人の目を気にして、うわべ・外見を実際よりよく見せようとする態度。 《見栄》 「 -でピアノを買う」 「 -坊」
③歌舞伎の演技・演出の一。劇的感情が高まったとき、俳優が、一時その動きを静止してにらむようにポーズをとること。 《見得》[大辞林 第三版:見え・見栄・見得(みえ)とは - コトバンク]
この記事では、①を含む②の意味として「見栄」とします。

*2:こうしたお金の使用詳細についてはっきりしたことはわからないのが常である。そもそも「お金」という形で手を離れてしまった場合、例えばそれが何十年か後に「同じ金額のお金」として戻ってきたとして、それそのものが戻ってきたわけではないのだから。

Pop mie is my best friend【Pop Mie Meaty Soto Ayamを食べてみた。】

こんにちは!調査渡航の準備で一人寂しくホテル暮らしをしている私です!

独りでホテル暮らし・・・・怖がりな私は、夜出歩いたり、夕飯のお誘いを受けることに大変な抵抗があります!!

そんなときの大切な友達・・・・・

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Pop mieというカップラーメンの話を記録したいと思います。

ただただインスタントラーメンを開けて食べるだけの記録です。

 Pop mieとは

 PT. Indofood CBP Sukses Makmur Tbk.が発売しているカップインスタント麺の商品名です。

1987年から発売されています。2010年にロゴを大きく改変し、2017年(今年!)には本物の鶏肉、牛肉をパルチパックで封入した新商品を展開し始めました!

商品スローガンは、「"Puasin Laper LoePuasin Muda Loe"./君のお腹を簡単に満足させてあげる!(Puas は満足、Laparは空腹、Mudaは簡単に、Loeはかなり親密な感じの「君」)」

発売元であるIndofoodが展開するIndomie(Pop mieも派生商品)というインスタント麺はインドネシアのインスタント麺の7割のシェアを占めています。

じつは、1990年からナイジェリアなどの海外展開を開始しており、いまやオーストラリア、アジア、アメリカ、ニュージーランド、フィリピン、カナダ、ヨーロッパなどでも展開されているようです*1すごい大きな企業だったんですね・・・。

ちなみにIndomieとは、Indonesiaの略語であるIndoとインドネシア語で麺を意味するMieの造語です。インドネシアの麺!という意味ですね。

商品展開

インドネシアの麺といっても馴染みのない人ですと、日本のカップ麺と何が違うのよーって思われると思うので、以下商品展開一覧を日本語訳しつつ載せておきます。

  • Pop Mie Mi Goreng Spesial(ミゴレンスペシャル/インドネシア風焼きそば)
  • Pop Mie Mi Goreng Pedas(辛いミゴレン)
  • Pop Mie Rasa Ayam Bawang Spesial(鶏肉玉ねぎ(ニンニク?)炒め風味)
  • Pop Mie Rasa Baso Spesial(肉団子スープ風味)
  • Pop Mie Rasa Ayam(鶏肉味)
  • Pop Mie Rasa Baso(肉団子スープ風味)
  • Pop Mie Rasa Soto Ayam(ソトアヤン/鶏肉スープすっぱめ、香辛料が効いていておいしい)←My favourit
  • Pop Mie Rasa Kari Ayam(鶏肉カレー味)
  • Pop Mie Rasa Kari Keju(チーズカレー味)
  • Pop Mie Rasa Kari Susu(ミルクカレー味)
  • Pop Mie Meaty Soto Ayam(リアルお肉入り、ソトアヤン味)←今回の記事の主役
  • Pop Mie Meaty Kari Sapi(リアルお肉入り、牛肉カレー味)
  • Pop Mie Mini Rasa Ayam Bawang(鶏肉玉ねぎ炒め風味のミニサイズ)
  • Pop Mie Mini Rasa Baso Sapi(牛肉団子スープ風味、ミニサイズ)
  • Pop Mie Mini Rasa Soto Mie(スープ麺、ミニサイズ)

ざっとこんな感じでしょうか。最近では地域の伝統料理などの味を取り入れ、商品展開していることもあります(例・Coto Makassar、スラウェシ・マカッサルの伝統料理、牛肉モツスープ)。日本でも各地域の有名ラーメン店のカップ麺展開などが見られますが、それに近いですね。

もちろんすべてハラル(ムスリム向け商品)ですので、豚由来成分、アルコールなどは入っておりません。

Pop Mie Meaty Soto Ayamを食べてみた。

Pop mieについて調べたら意外と前置きが長くなってしまいました・・・。

本題のPop mie食べてみたです。

今回食べるのは、なんと2017年に新発売したというリアルお肉入りソトアヤンPop mieです!!(調べるまで今年の新発売だって知らなかった。確かに始めてみたんだけども)

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右がPop Mie Meaty Soto Ayamで、左のは普通のPop mieです。カップの大きさもかなり違います。内容量も約70gと約110gなのでボリュームみぃになっています。ハラルマークが右上の方に小さく印刷されていますね。値段もRp.4.500(40円くらい)とRp.11.000(100円くらい)なので、通常の倍以上とかなりお高めな値段となっています。

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 蓋を開けると、フォークと加薬が入っています。

このフォーク、初めてPop mieを食べた時かなり驚いた記憶があります。しかしその時もホテル暮らしをしていた私は、カップ麺を買った後に箸もフォークもなく絶望していたところだったので、神の恵みかと思いました。アッラーハンブリラー!

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 そしてこれが今回の主役ですね!リアル鶏肉!後入れ(Sudah Matang)と書いてあります。なので、通常と同じ加薬(粉末スープとチャベ(唐辛子)を先に入れて、お湯をいれます。

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チャベは最初の内は入れないでいたのですが、最近は多少辛くないとおいしいと思わなくなってきたので、全部入れます(そんなに辛くないです)。

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あとは、待つだけ!たぶん3分くらい!蓋の上にパウチを乗せたのは日本のカップ麺がそういう指示をよく出しているので癖です!あと、付属のフォークを蓋にぶっさして止めるのは、小学校の頃駄菓子屋のおばちゃんがブタメンにやっていたので覚えました!

ちなみにインドネシアでもWarung(屋台)でPop mieを食べるとこうやって出してくれます!人間の知恵!万国共通!

そして、麺ととスープができあがったら、パウチのリアル鶏肉をいれます!

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なんでだろう!この写真、すごくおいしくなさそう(Indofoodさんごめんなさい)!!でもおいしいよ!!!! 

 まとめ

  • Pop mieの歴史は意外と長く、発売元のIndofoodは海外進出しまくってるグローバル企業だった。アフリカでも食える。
  • Pop Mie Meaty Soto Ayamは、2017年発売の新商品だった。
  • Pop mieに入ってる付属の使い捨てフォークは神。
  • Pop mieおいしい。家にいるときは鍋でつくる感じのIndomieをよく食べています。こちらもおいしいよ!
  • Pop Mie Meaty Soto Ayamは、おいしい、若干お高いがボリュームがある。パウチの鶏肉もおいしい!

以上、私のボッチ暮らしにおける親友Pop mieの記録でした。

Selamat Hari Kemerdekaan!インドネシア独立記念日!

こんばんは!先週の8月17日は、インドネシア独立記念日でした。

前回の記事で、毎年何となく楽しめない・・・と心境を吐露した私です。

gulamerah.hatenadiary.com

しかし、書き出してしまったからなのか、長期滞在故にお祭りの雰囲気に馴染んでしまったのかわかりませんが、今年は個人的にとても楽しい独立記念日(とのその後)を過ごすことができました。

今年は、特に独立記念日的なお祭りに出むかず、独立記念日セールを狙ってモールにショッピングしに行きました!セールを狙っていったのですが、そこでもやはり面白いことがありましたので、記録しておきたいと思います(なぜならば先ほどその「面白かったこと」を忘れていた、つまり思い出したのでこれはやばいと焦ったので。)

独立記念日(8月17日)が近づくと街が素敵に装飾される

独立記念日が近づくと街のあちこちでインドネシア国旗である赤白の旗がはためきます。本当に道中に、そこら中にはためきます。住宅街、ガソリンスタンド、小さな裏路地にまで、赤白の国旗!

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路地裏でドッチボールしている子供たち。

実はこの日、台湾人の友達とめっちゃ迷って裏路地に入り込んでしまったのですが、後ろからついてきた自転車の男の子に「迷ってるー迷ってるー」って言われた。

でも、迷い込んだおかげで、こんな素敵なものを見つけました。

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切り絵になっていて、四面で絵が違うという素晴らしいランプ!

でもこんな素敵なのに、すごい誰も通らないところにひっそりと飾られていた不思議・・・。ちなみにジャワには影絵(のお芝居)の文化、バヤガンという芸術が深く根付いているので、そうした影響もあるのかもしれませんね。それにしても、素敵!

ちなみに、Go-jeckというOjeck(バイクタクシー)のアプリケーションも、独立記念日インドネシア72周年使用のスタートアップページに模様替えしてました。このアプリは、ラマダンの時もラマダンバージョンのスタートページを用意していましたので、まめな企業だなぁと感心します。

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実地の店舗だけでなく、オンラインショップやこうしたアプリケーション、ガルーダインドネシアのオンラインページなんかも、独立記念日インドネシア72周年を記念して、いろいろなディスカウントを行っています。

ちなみにこうしたディスカウントは、独立記念日(8月17日)から一週間ほど続きます。

もし機会があったら、この時期にインドネシアでお買い物をしてみてはいかがでしょうか、お得かもしれません。

独立記念日セール!

そして今年は独立記念日セール!を狙ってモールに行ってきました。

モールも素敵に装飾されています。

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そして、いろいろ見て回った結果、こちらのブラウスを半額で手に入れました。

かわいいー❤❤定価だったら即決できない値段―!半額なら、即決!

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モールの中でもイベントが開催されていて、こちらのステージではかわいい子供たちが歌を披露していました・・・・。かわいい・・・・モール中に響くあどけない歌声かわいすぎた・・・・。

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1945年8月17日の「声」

そして、帰りがけモールに入っているスーパーに寄った時のことです。

前回の記事に紹介した「Indonesia Pusaka」が、店内放送で頻繁に流れていたのですが、それ以上に面白い「声」を聞くことができました。

1945年8月17日に当時インドネシアの大統領であったスカルノ大統領の「独立宣言」を読み上げる声が、モール中に響いたのです。

youtu.be

YouTubeで調べたら歌の部分まで出てきましたので、どうやら、これで一つの歌のようです。冒頭のスピーチが、インドネシア独立宣言を読み上げるスカルノ大統領の声ですね。

不思議な感じがします。玉音放送の音質にそっくりです。まぁ、その二日後の録音ですから、同じに聞こえておかしくないのですが、この時代の「声」は、特に日本のものは、私はやはりどうしても後ろめたい、あるいは苦しいイメージがありますので、心が高揚するのは本当に不思議な感じがしました。

まとめ

  • インドネシア独立記念日が近づくと待ちが紅白お祝いモードになる
  • セールたのしい、半額とか!BUY GET 1FREEとかある
  • スーパーで72年前のスカルノ大統領の声を聴いた
  • なんだかんだで、今年は今までで一番楽しんだ
  • 自分の想いを書くって大事
  • Selamat Hari Kemerdekaan!インドネシア独立記念日おめでとう!72周年おめでとう!

独立記念日と終戦記念日

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 こんにちは。もうすぐインドネシア独立記念日(8月17日)ですね。

 インドネシアに夢中になってからずっと心に溜めていたことをひとまず書き記したい、という思いでこの記録を書きました。まぁ、一個人の記憶の記録として、この夏の記憶として、残すことができたらと思います。

 まずは、インドネシア独立記念日に歌われる私のお気に入りの歌についてです。

Indonesia Pusaka

 インドネシアのラジオなんかを聞いていると、この時期とてもよく聞く歌があります。それは、「Indonesia Pusaka」という歌で、インドネシアの第二の国家的な歌です。

www.youtube.com

 とても綺麗な旋律で、私も思わず口ずさみたくなってしまう歌なのですが、何を謳っているかというと、ようはPusaka/父祖伝来のインドネシア。母国、愛しのインドネシア、私の生まれた場所!というような内容です。

 素敵な旋律は、ロックにしても素敵です。

youtu.be

 このようにいろいろなバージョンがあるので、様々なバージョンのPusaka Indonesiaがラジオからひっきりなしに流れます。個人的にとても好きなので聞いていたら、寮のお手伝いさんに「なぜPusaka Indonesiaを聞いてるの」と笑われました。国歌ではないのですが、もはや国歌よりもよく聞くナショナルソングと化しているので、それを好んで聞いている外国人という構図は少しおかしく感じられたようです。小学生なんかがイベントなどで合唱したりもする曲です。

 独立記念日である8月17日には、インドネシア各地でインドネシアの独立を記念し祝う催し、お祭りが開催されます。私も一度参加したことがあります。

独立記念日終戦記念日

 しかし8月の初め、この時期に「お祭り気分」になる違和感というものを私は毎年感じます。インドネシアが独立した記念日、お祭り気分になるには充分な理由です。インドネシアが大好きならなおのこと、お祭り気分になって然るべきです。なのに、なぜかしら。心から楽しめない。そこには、大きく分けて二つの理由がありました。

 まず、私の中の夏が、お祭り気分になることに違和感を感じるのです。なぜならば、日本に毎年やってくる8月の初旬が「お祭り気分」からほど遠い雰囲気に包まれているからです。

 日本の8月初旬と言えば、テレビやラジオでは「戦争特集」が良く流れてきます。戦争は良くない、辛い、悲しい、二度と起こすまい、そういった決心を新たにする時期です。ヒロシマナガサキに続き、「終戦記念日」と、第二次世界大戦の悲惨さを追憶する時期です。そんな薄暗い気分が、うだるような暑さとセミの喧騒、麦茶の中に入れた氷の冷たさと共に、8月の初旬、日本の真夏には染みこんでいる。少なくとも私の中では、日本の真夏に「戦争の悲惨さ」が染みついています。

 でも、8月のインドネシアは、新たな第一歩、始まりを記念し祝う雰囲気になります。日本の悲惨で苦しく、悲しい雰囲気とは全く異なります。

 そして、そもそもインドネシアってどっから独立したのでしょうか?インドネシアが独立する直前、インドネシアを「占領」していたのは、「日本」です。つまり、インドネシア独立記念日は、「日本」からの独立を祝う日でもあるのです。

 これが、私の感じる第二の違和感。というより、息苦しさといった方が正しいかもしれません。「日本の占領から解放されたインドネシア」、この歴史的事実が、インドネシア独立記念日に際して心からお祭り気分になることを阻害するのです。政治的にいろいろな見解があることを承知していますが、それでもなお事実として日本軍がインドネシア独立の直前までインドネシアにいたことは確かですし、日本の「終戦記念日」の二日後がインドネシアの「独立記念日」なのです。

そして、コインは投げられた

 私にとって、「終戦記念日」と「独立記念日」は、一枚のコインに描かれた模様のようでした。コインの裏側、あるいは、表側、どちらにせよ、片側に足を付けて立っていたら決して見ることのなかったはずの景色を私は見ている。そんな気分になるのです。

 そして、双方に想いを寄せることができる自分を大切にしたいと思う。しかし、同時に、双方の景色を見たあとで、もう一つの違和感を発見する。その違和感は最近の日本の「戦争」追憶が、「被害者」の記憶に偏っていることに起因します。日本の戦後における無責任の構造に関しては『敗北を抱きしめて』*1などが指摘していますが、現在の日本社会における戦争記憶の多くは「殺された罪なき人びと」、主に「日本人」に関する記憶であり、無責任を通り越して被害者としてのイメージを創り上げているような気がします。インドネシアが日本の敗戦によって日本から解放され、その二日後に独立した、という事実を目の当たりにした時、私は自分がどれだけ、かの戦争における日本の加害行為を認識していないのかということを知りました。この時期に語られる「戦争」に彼らが登場してこないことを踏まえると日本社会は、日本の「加害」に関する戦争記憶を恐ろしい速さで忘却した(あるいは、しようとしている)のかもしれないとすら思います。現日本社会における戦争記憶の中に日本の「殺した」「傷つけた」記憶を見聞きすることは、あまり多くないと思います。多くの「日本人」が殺され、傷つけられたのと同じくらい、多くの人が「日本人」に殺され、傷つけられた。にもかかわらず、現日本社会の戦争に対する態度は、あまりも逃避的すぎやしないか。時にその被害者意識は国までもを「加害者」とし、かの戦争における「加害者」としての日本人の行為の責任を負わせようとする。国を理由にかの残虐な行為、殺戮に対する責任を放棄して然るべきとするならば、近年の戦争の多くに対して、誰一人として責任を負わずして良しということになるでしょう。

 また、日本の戦争に対するこうした被害者意識は、簡単に加害への根拠となる発想を生み出すことにも不安を覚えます。つまり、やられる前に、やっちまえ、となるわけです。「戦争の被害者になりたくない」という反戦思想は、被害者にならないための加害を正当化する好戦的な思想へと、いとも簡単にひっくり返ります。戦争における加害を忘却した結果、加害に対する反省や自戒、自制というものを学ぶ機会を失い、「戦争」を繰り返すわけです。物事の一面的な理解は、誤解であり、そこに囚われる態度はある種の逃避である。コインの片側に安住してはならないのです。

 初めて独立記念日インドネシアで過ごしたとき、私は、インドネシア独立記念日に参加してお祝いすることが、許されないようなそんな気分になりました。しかし、独立記念日のお祭りに連れていってくれた友人は、「歴史的にいろいろあったけど、それは歴史の話、今の私たちは、違う」と言いました。この言葉を素直に受け取り、この息苦しさを払拭することは、私にはまだできません。払拭すべきことなのかも、正直わからないです。ですが、彼の言った「今の私たち」こそが、どうあるべきか、それを考えることはできる。

 そんな想いを抱きながら、今年も8月17日は、大切な友人と大好きなインドネシアの誕生を祝いたいと思います。

 

インドネシア、大好きよ、独立記念日、おめでとう。

Indonesia, Selamat Hari Kemerdekaan, Saya selalu jatuh cinta ke Indonesia deh!

 

 

*1:ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて<上><下>』2004年/2001年旧版/1999年原著"Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War ll"

おしりがからいと熱が出る【Nasi Udok Lombok】

こんにちは!先日からお腹の調子がすぐれません。

とてもお尻がからいです。

このお尻のからさ、お腹の調子の悪さ、何が原因か思い当たる節があります。

それは先日食べた、Nasi Udokと言われるご飯です。

店の前で食べてもよいのですが、お持ち帰りにしたいって言うと紙でぐるぐる巻いてビニール袋に入れてスプーンつけてくれます。クレープみたいです。

お値段は、RP.13.000(約120円)。一食分の値段として、このご飯の量を考えると少しお高めです。

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この茶色いのは卵で、唯一この味付け卵は辛くないのですが、その他アボン(しっとりふりかけ的な味の濃い魚のほぐしだったり鶏肉のそぼろ的な物)がめちゃくちゃ辛い。

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ご飯も結構多めに入れてくれますが、私はこのアボンが辛すぎて一度では食べきれませんでした。ご飯が圧倒的に足りません。

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そのため、その日の夕飯もこのNasi Udokのアボン(残り)を新たに炊いたモロコシご飯と一緒に・・・・。

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永遠に、おかずが残ります・・・・。

 

そしてこの3日後、お尻が辛くなってきます。

食べ物とお尻の話を一緒にしてはいけない気もするのですが、仕方ありません。

なにせ、おしりがからいのですから・・・。

お尻が辛い、とはどんな状況かというと、つまり辛いもの食べた後にうんこも辛くなって、お尻が辛いうんこのためにひりひりするという状況ですね。

お腹の調子もすぐれませんし(辛いし痛い)、なんか昨日は38度越えの熱が出たし(辛くて熱くなった?)、さっきもお尻は辛かったです(痛い)。

ちなみに、このNasi Udok、そんなに辛くないやつもあるらしいです。

私が買ってきた奴は、Nasi UdokNasi Udok Lombok、ロンボック地方のNasi Udokだったらしくて、寮のお手伝いさんたちも、「それは辛いわよー!!!美味しいけど!」って言っていたくらいです。辛いものになれている彼女達が特別辛いというくらいですから、相当な辛さだったのでしょう・・・。でも、おいしかったんだもの・・・・食べちゃったわよ・・・。お尻が辛くなったわ・・・。辛さの要因は、もちろんCabe(唐辛子)です。そういえば、渋谷にCabeというインドネシア料理屋さんがあるらしいです。いったことないですけど。

以上、このお尻が辛いという感想も含めて、先日食べたNasih Udok Lombokについての記録でした。

 

辛い食べ物はおいしいですけど、食べる際にはぜひお腹とお尻に気を付けてください。

 

 

Selamat Idur Fitri 断食明け大祭だよ!レバラン!

こんにちは!先週末(6月25日)は楽しみにしていた断食明け大祭でした!

断食明け大祭は、断食月が終了した翌日に行われます。今年のインドネシアでは、6月25日(日)~26日(月)が イドゥル・フィトリ(1438年断食明け)*1として祝日に指定されています。イドゥル・フィトリの間、まるでお盆のようにさまざまな地域か激しい混雑状態になるので、知人の日本人の方などは「やることもないし、どこもかしこも混むので日本に帰る」と言っておりました。逆に、出稼ぎ先となりやすいジャカルタなどは、普段の混雑はどこへやら、かなり静かになるようです。

ちなみに前月の5月25日はキリスト教昇天祭、5月の13日は仏教大祭のワイサックが祝日として指定されており、多民族多宗教国家を感じることができます。宗教が異なる人びとにとってそれぞれの祝日は、ただのお休みという感じになりますが、いろいろな宗教の大祭が其々公的な祝日として指定されているのは、大変興味深いですね。なんであろうと休日は嬉しいものですからね。

ついでにといっては何ですが、前回の記録で「断食明け大祭を楽しむために、プアサ(断食)を頑張るだ!」と意気込んでいた私でしたが、なんということでしょう、帰省当日にメンス(生理)になってしまいました・・・。ムスリムであっても生理中の断食、お祈りは免除ですので、あえなく断念。結果としては、居候をさせてもらうおうちのお友達も断食・お祈り免除中でしたので、二人でもぐもぐご飯を食べていました。レストランには家族連れなどもおり、そんなに気に病まずにご飯を食べまくりました。以下、そんな感じで迎えた断食明け大祭の記録です。

 

Idur Fitri/Lebaran/断食明け大祭とは

断食明け大祭、インドネシア語発音だと「イドゥル・フィトゥリ」、アラビア語の日本語表記ですと「イド・アル=フィトル」になるようです。ちなみにインドネシア語だと「レバラン/ Lebaran」となります*2ラマダ断食月の明けを祝うムスリムにとってのお正月的な、一年で一番大きなお祭りです。

イド・アル=フィトル - Wikipedia

今年は、6月25日(日)~26日(月)が イドゥル・フィトリ(1438年断食明け)とされていましたが、どうやら断食明けが正式に決まるのは月の満ち欠けなどを専門家が見て決めるらしく、前々日まで決まらないというようなこともあるみたいです。確かに断食月明けがカレンダー上の今週末に迫ってきているにもかかわらず、「何日かはまだしらない」と言っている人がいました。正式発表は大統領からあるらしい・・・・・*3。今年は、カレンダーの祝日の初日が断食明け大祭となったようです。

ラマダン断食については、前回、前々回に記録しましたので興味がある方はご覧ください。

Takbiran/断食最終日の夜

断食明け大祭の前日夜は、断食最終日Takbiranとしてはやくもお祭りムードが始まります。さながら除夜の鐘かの如くアザーンスペシャ*4の音がモスクから流れ続けていました。ドコドコドコドコ~アッラー~アクバル~ドコドコドコドコといった感じです。3時間で100回くらいアッラーをアクバルした気がします。そこかしこで花火が上がり、交通整理の笛の音と共に素晴らしい喧噪を生み出していました。

ユーチューブにインドネシアのTakbiran2017が上がっていましたので、ぜひ流しながら記事を読んで雰囲気を感じてください。

www.youtube.com

Shalat Ied/断食明け大祭、朝のお祈り

断食明け大祭の朝は、ムスリムにとっての元旦のようなもの。

初詣のごとく、一年の中でも特別なお祈りを大勢の人が集まってします。

私も誘われたのでついていくことにしました。ママ*5がMukena(ムケナ)と呼ばれるお祈りの時の服を貸してくれました。「朝の6時半に出発よ!」と言われていたので、朝のシャワーを浴びて準備完了させて待っていました。(出発は結局7時過ぎでした。)

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かわいい・・・・。でもムケナって白い色が正式な色だった気がするけどまぁいいか、かわいいし・・・。

向かう先は、モスク、ではなく近所の大きな運動公園。たくさんの人が集まりモスクには収まりきらないため、運動公園がソラット・イードの会場となるようです。会場に向けて多くの人が歩いていきます。

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なんか、奥の方の人もピンクのムケナ着ていますね・・・。ちなみに私の隣でお祈りしていた女の子は「アナと雪の女王」の柄のムケナを着ていました。かわいい・・・青い、アナとエルサとオラフが散りばめられたムケナ・・・・。かわいいね・・・。

さらに会場へと向かう道には、ずらりと物乞いの方々が並んでいました。

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ムスリムには喜捨という習慣があり、持てる者は、持たぬ者に与えることが善とされています。そのため、お祈り帰りに「喜捨」を行う人も多くいるので物乞いをする人たちもこのように道端に待機しているわけです。

Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin(イドゥル・フィトゥリおめでとう。これからもよろしくお願いします。)

 

「Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin」

これは、イドゥル・フィトゥリ/レバランの挨拶です。直訳すると「イドゥル・フィトリの日おめでとう。いろいろとごめんなさい。」となるのですが、このごめんなさいはこれまでの心の内側・外側(実際に)犯してしまった罪への赦しを請う、という意味になるようです。年賀状の「昨年はお世話になりました(いろいろとご迷惑をおかけいたしました)」にも通じるものがあるような気がします。私はかなり大雑把に「これからもよろしくお願いします」としましたが、いろいろな解釈ができると思います。

ソラット・イードが終わると、友人や親せきのお家を訪ねて新年のご挨拶回りをします。あるいは、やってくるお客様をおうちで出迎えるという場合もあるようです。

このあいさつ回りでは、みなさん新品のお気に入り服を着てゆきます。私もソラット・イードを終えて家に帰ったあと、大急ぎで支度をしました。

おうちを直接訪れて挨拶に行けない場合などは、お菓子の詰め合わせや果物などを贈ります。お仕事関係の人などはこうした贈り物で済ませることも多いようです。

これらは、Parsel(パルセル)と呼ばれます。

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この時期になるとスーパーや果物屋さんでは、こうした「イドゥル・フィトリ用の贈り物セット」が店頭にずらりと並びます。

お歳暮やお年賀といったものにも似ているとおもいました。

ちなみにお年玉的な感じで、子供たちにお金を渡すこともあるようで、新品のお金を子供たちに配っている場面にも出くわしました。現金を直接渡しており、子供たちはテンションが上がってそのままお金を振り回していました。これは、THR(Tunjangan Hari Raya/レバラン手当)と言われるものですが、子供たちだけではなく会社からボーナスとして大人に支給されることもあります。

まとめ
  • バラン前日の夜からお祭り騒ぎが始まる
  • 運動場で朝のお祈りをする
  • お祈り用の服は本当は白な気がするけどかわいいのでもいい。
  • お祈りが終わった後の物乞いさんたちのアタックがすごい
  • お祈りが終わった後は、新年のあいさつ回り。
  • Parselというお年賀的なもの、THRというお年玉的なもの(会社から社員へ支給されること)もある。
  • めっちゃお客さん来て、楽しかったけど疲れた。

それでは、皆様の元にもまた良い一年が訪れますことを祈って、

Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin!

 

 

*1:ムスリム歴(ヒジュラ歴)によって指定される日にちなので毎年異なります

*2:前回、前々回とラマダンについて記事を書いてみて、ムスリム関連の用語が日本語発音のアラビア語インドネシア語発音のアラビア語インドネシア語、日本語と入り乱れていてわかりにくいことになってしまうと気が付きました。申し訳ないです。できる限り統一を試みますが、これもまた文化の衝突点の面白さと思っていただければ幸いです。

*3:そのために25日~26日の二日間が「断食明け大祭」として指定されていると考えられます。お祭りは25日の一日しかありませんでした。

*4:私が勝手に名付けました。通常のお祈り合図としてのアザーンに比べてより華やかで長い。

*5:こっちでお世話になってるインドネシア人のお母さんです

プアサ(水あり)をやってみた:イドゥル・フィトリ(断食明け大祭)まで頑張る

こんばんは。イドゥル・フィトリ(断食明け大祭)が今週末へと近づいてきましたね!

前回の記事ではラマダンについての概要を書きましたので、興味がある方は参考にしてください。

gulamerah.hatenadiary.com

前回の記事で書いたように、ラマダンはクリスマス前の断食と似ていて、断食月が終わる日はまさにクリスマス!当日!多くのインドネシア人が家族と過ごすために大移動をする時期なので、私の寮は30室ある内、7部屋(ワンルームなので一人一部屋、つまりいつもは30人いるところ7人)しか残っておりません・・・。そして実は私もレバラン/イドゥル・フィトリ/断食明け大祭に向けて、馴染みの土地に帰る予定を立てております。とても楽しみ!

 

さて、せっかく断食明け大祭を楽しみたいなら、やっぱり断食をやったほうがより楽しめるのではないかという安易な発想によって先日から断食をしております。

ただ、前回ガチで水も飲まない断食に挑戦したところ体調を崩しましたので、無理は良くないと思い、水分はオーケーということにしました。

ちなみにこの断食、妊婦さん、生理中の女性、病人などはやらなくていいことになっているのです。その代り元気になったら、休んだ日数分振り替えましょうね、という話もあるみたい。そういうことなので、断食やって病人になってしまっては断食どころかレバランも楽しめないではないかと思っての判断です。

前回は、とりあえずガチ断食つらかったという記録だったわけですが、今回は食べたものなどをちらほら紹介しつつ、個人それぞれの断食のやり方なんかに触れたいと思います。つまり、実際のとこ、どんな感じで断食をやっているのかということです。

 

 

個人的断食、今日一日の流れ

AM:3:00  サフールの時間まで眠れなかった私(昼寝のしすぎですね)

AM:3:30  お隣に住む子と共同キッチンで鉢合わせ、一緒にサフールをする。

AM:4:00  ようやく眠くなってきたので眠る。

AM:10:00  起床

休暇のチケットの手配とかいろいろ、作業。水ありだと、そんなに気が散らず作業ができることが判明。

PM:16:00  ランドリーを回収いくついでに断食明けに食べるご飯を買いに行く。

PM:17:30   断食明け

PM:18:00  イフタールを食べる。お隣の子を誘ったがもう既に食べた後だった。お祈り中にドアノックしてごめんよー・・・・。

 

前回に比べて、苦痛はかなり減りました。実際のとこ、口渇感と空腹感の両方を味わってこその断食なのですが、またしても病院のお世話になるなんてことはどうしても避けたい・・・。水を飲んでいるので、ご飯を食べ忘れた日みたいな感じでした。

と、イフタール(夕食後)は余裕が出てきますが、実際のところ15時から17時までの間の空腹は結構なものです。断食明け30分前なんかになってくると、私は歌を歌ったり、ゲームをひたすらやってます。Proレベルならフルコン出せました*1。よって、水あり断食中の作業集中力は中の下です。

私が食べたもの

サフール:目玉焼きとレタスのサンドウィッチ、マンゴスチン

断食明け:エス・ブワ(フルーツポンチ)。

イフタール:アヤンゴレン(フライドチキン)とご飯。

 

この中で私が一番写真を載せたいのはマンゴスチンなので、マンゴスチンの写真を載せます。本当においしいし、見た目かわいいし、大好きです。最近当たりを選べるようになったので、今度マンゴスチンについて記事を書きたいです。

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水くらい飲まないと体調悪くなっちゃうよねっていう

それで、じゃあ断食中にレストランで食事をしたり、道端でタバコ吸ってる人が一切いないのか?

全くいないといえば、嘘になります。土地柄もかなり影響するとは思いますが、昼間のレストランで食事する人、道端でタバコ吸ってる人、います。そもそも彼らがムスリムであるか、別の宗教を持っているのかがわからないので、正直、なんとも言えないです。

一度、思わず外で水を口にしてしまったとき、目が合ってしまった駐車場係のおじさんに「断食開けてないのにごめんなさい*2」って言ったことがあります。すると、彼、ニヤッと笑ってミネラルウォーターのボトルをチラ見せしてきました・・・。

駐車場係のおじさんなんかは炎天下にいなきゃならないわけです。そりゃ水飲まなきゃ熱中症で死んでしまいます。真剣に断食をして熱中症で亡くなる方もいるようなので、気を付けてほしいものです。

彼がムスリムであるか、そうでないかはさておき、私はその時、水ありで断食を継続しようかなと思ったのでした。

 

まとめ
  • 断食明け大祭/イドゥル・フィトリ/レバランがすごい楽しみ。
  • マンゴスチン(マンギス)うまい
  • 水ありの断食は、微妙に作業ができる。(Masフルコンは無理*3
  • ラマダン中、昼間のレストランで食事をするひと、道端でタバコを吸う人はいる。
  • 駐車場係のおじさんは本当に熱中症に気を付けてほしい。

*1:シンデレラガールズ/スターライトステージ、略してデレステと呼ばれる音楽ゲームの話です。

*2:断食中は、目の前で飲食をする際などは断ることがマナーとされているようです。先にあげた断食をお休みしているひとたち(妊婦、生理中の女性、病人等)も食事をする際に断食中の人がいた場合「ごめんね」の一言を言っていました。

*3:デレステの話です。