犬が吠えども、キャラバンは進む。

Biar anjing menggonggong, kafilah tetap berlalu./インドネシアでひとを研究しているある院生の備忘録。

独立記念日と終戦記念日

 こんにちは。もうすぐインドネシア独立記念日(8月17日)ですね。

 インドネシアに夢中になってからずっと心に溜めていたことをひとまず書き記したい、という思いでこの記録を書きました。まぁ、一個人の記憶の記録、としてこの夏の記憶として、残すことができたらと思います。

 まずは、インドネシア独立記念日に歌われる私のお気に入りの歌についてです。

Indonesia Pusaka

 インドネシアのラジオなんかを聞いていると、この時期とてもよく聞く歌があります。それは、「Indonesia Pusaka」という歌で、インドネシアの第二の国家的な歌です。

www.youtube.com

 とても綺麗な旋律で、私も思わず口ずさみたくなってしまう歌なのですが、何を謳っているかというと、ようはPusaka/父祖伝来のインドネシア。母国、愛しのインドネシア、私の生まれた場所!というような内容です。

 素敵な旋律は、ロックにしても素敵です。

youtu.be

 このようにいろいろなバージョンがあるので、様々なバージョンのPusaka Indonesiaがラジオからひっきりなしに流れます。個人的にとても好きなので聞いていたら、寮のお手伝いさんに「なぜPusaka Indonesiaを聞いてるの」と笑われました。国歌ではないのですが、もはや国歌よりもよく聞くナショナルソングと化しているので、それを好んで聞いている外国人という構図は少しおかしく感じられたようです。小学生なんかがイベントなどで合唱したりもする曲です。

 独立記念日である8月17日には、インドネシア各地でインドネシアの独立を記念し祝う催し、お祭りが開催されます。私も一度参加したことがあります。

独立記念日終戦記念日

 しかし8月の初め、この時期に「お祭り気分」になる違和感というものを私は毎年感じます。インドネシアが独立した記念日、お祭り気分になるには充分な理由です。インドネシアが大好きならなおのこと、お祭り気分になって然るべきです。なのに、なぜかしら。心から楽しめない。そこには、大きく分けて二つの理由がありました。

 まず、私がお祭り気分になることに違和感を感じるのです。なぜならば、日本に毎年やってくる8月の初旬が「お祭り気分」からほど遠い雰囲気に包まれているからです。

 日本の8月初旬と言えば、テレビやラジオでは「戦争特集」が良く流れてきます。戦争は良くない、辛い、悲しい、二度と起こすまい、そういった決心を新たにする時期です。ヒロシマナガサキに続き、「終戦記念日」と、第二次世界大戦の悲惨さを追憶する時期です。そんな薄暗い気分が、うだるような暑さとセミの喧騒、麦茶の中に入れた氷の冷たさと共に、8月の初旬、日本の真夏には染みこんでいる。少なくとも私の中では、日本の真夏に「戦争の悲惨さ」が染みついています。

 でも、8月のインドネシアは、新たな第一歩、始まりを記念し祝う雰囲気になります。日本の悲惨で苦しく、悲しい雰囲気とは全く異なります。

 そして、そもそもインドネシアってどっから独立したのでしょうか?インドネシアが独立する直前、インドネシアを「占領」していたのは、「日本」です。つまり、インドネシア独立記念日は、「日本」からの独立を祝う日でもあるのです。

 これが、私の感じる第二の違和感。というより、息苦しさといった方が正しいかもしれません。「日本の占領から解放されたインドネシア」、この歴史的事実が、インドネシア独立記念日に際して心からお祭り気分になることを阻害するのです。政治的にいろいろな見解があることを承知していますが、それでもなお事実として日本軍がインドネシア独立の直前までインドネシアにいたことは確かですし、日本の「終戦記念日」の二日後がインドネシアの「独立記念日」なのです。

そして、コインは投げられた

 私にとって、「終戦記念日」と「独立記念日」は、一枚のコインに描かれた模様のようでした。コインの裏側、あるいは、表側、どちらにせよ、片側に足を付けて立っていたら決して見ることのなかったはずの景色を私は見ている。そんな気分になるのです。

 そして、双方に想いを寄せることができる自分を大切にしたいと思う。しかし、同時に、双方の景色を見たあとで、もう一つの違和感を発見する。その違和感は最近の日本の「戦争」追憶が、「被害者」の記憶に偏っていることに起因します。日本の戦後における無責任の構造に関しては『敗北を抱きしめて』*1などが指摘していますが、現在の日本社会における戦争記憶の多くは「殺された罪なき人びと」、主に「日本人」に関する記憶であり、無責任を通り越して被害者としてのイメージを創り上げているような気がします。インドネシアが日本の敗戦によって日本から解放され、その二日後に独立した、という事実を目の当たりにした時、私は自分がどれだけ、かの戦争における日本の加害行為を認識していないのかということを知りました。この時期に語られる「戦争」に彼らが登場してこないことを踏まえると日本社会は、日本の「加害」に関する戦争記憶を恐ろしい速さで忘却した(あるいは、しようとしている)のかもしれないとすら思います。現日本社会における戦争記憶の中に日本の「殺した」「傷つけた」記憶を見聞きすることは、あまり多くないと思います。多くの「日本人」が殺され、傷つけられたのと同じくらい、多くの人が「日本人」に殺され、傷つけられた。にもかかわらず、現日本社会の戦争に対する態度は、あまりも逃避的すぎやしないか。時にその被害者意識は国までもを「加害者」とし、かの戦争における「加害者」としての日本人の行為の責任を負わせようとする。国を理由にかの残虐な行為、殺戮に対する責任を放棄して然るべきとするならば、近年の戦争の多くに対して、誰一人として責任を負わずして良しということになるでしょう。

 また、日本の戦争に対するこうした被害者意識は、簡単に加害への根拠となる発想を生み出すことにも不安を覚えます。つまり、やられる前に、やっちまえ、となるわけです。「戦争の被害者になりたくない」という反戦思想は、被害者にならないための加害を正当化する好戦的な思想へと、いとも簡単にひっくり返ります。戦争における加害を忘却した結果、加害に対する反省や自戒、自制というものを学ぶ機会を失い、「戦争」を繰り返すわけです。物事の一面的な理解は、誤解であり、そこに囚われる態度はある種の逃避である。コインの片側に安住してはならないのです。

 初めて独立記念日インドネシアで過ごしたとき、私は、インドネシア独立記念日に参加してお祝いすることが、許されないようなそんな気分になりました。しかし、独立記念日のお祭りに連れていってくれた友人は、「歴史的にいろいろあったけど、それは歴史の話、今の私たちは、違う」と言いました。この言葉を素直に受け取り、この息苦しさを払拭することは、私にはまだできません。払拭すべきことなのかも、正直わからないです。ですが、彼の言った「今の私たち」こそが、どうあるべきか、それを考えることはできる。

 そんな想いを抱きながら、今年も8月17日は、大切な友人と大好きなインドネシアの誕生を祝いたいと思います。

 

インドネシア、大好きよ、独立記念日、おめでとう。

Indonesia, Selamat Hari Kemerdekaan, Saya selalu jatuh cinta ke Indonesia deh!

 

 

*1:ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて<上><下>』2004年/2001年旧版/1999年原著"Embracing Defeat: Japanin the Wake of World War ll"