犬が吠えども、キャラバンは進む。

Biar anjing menggonggong, kafilah tetap berlalu./インドネシアでひとを研究しているある院生の備忘録。

ラマダン断食継続中:断食中に考えたこと

ラマダン月が始まって、はや二週間、今年の断食月も残るところあと半分・・・。

実は、去年の失敗から学びを得て身体を徐々にならすという作戦に出た結果、水なし断食成功してます。慣れって怖いな。

空腹と渇き、煙草欲、慣れてしまえば、なんてことはない感じで耐えられるのですが、なんせ暇なのです。なにか作業をしていたとして、休憩しようとしても横になるくらいしかやることがない。日常生活のどれだけの時間を飲食や飲食に纏わる思考に費やしていたのか、痛感しました。今回は、飲食に纏わる思考時間が空いた代わりに、空腹を感じながら断食中に何を考えていたのか、を記録に残したいと思います。

イスラム断食月ラマダン断食とは何かについては、こちら→サウム 断食 – Islamic Center Japanを参照ください。

 

f:id:gulamerah:20180524225355j:plain*1

断食中に禁止されていること 

さて、イスラムラマダン月に行われる「断食」、実は、飲食だけでなく、娯楽(世俗的なこと)も禁止されてるらしいんです。まぁしかし解釈による違いというものが大きいので、(少なくともインドネシア)一般的には音楽や映画などの娯楽禁止!というのは聞いたことがありませんでした。そこで、私、まじめなので調べました。

以下は日本イスラミックセンターのサウム(断食)中にして良いことと禁止されてることです。

サウム中やってはいけないこと、望ましくないこと

サウムを始めたら、昼の間は一切の飲食や喫煙、性行為をしてはいけません。一切のとは、例え一粒の米やウドゥーのときに口をすすいだ水の一滴ものどを通ってはいけないと言うことです。さらに口に入れたものを呑み込んだり、鼻や口から、あるいは注射器や座薬によって体内に薬や栄養剤を入れることもサウムを破ることになります。

しかしうっかりとサウム中であることを忘れていて、無意識に飲食したり、何かを口に入れたりした場合、気が付いた時点ですぐにやめ、そのままサウムを続ければ良いです。香水、こう薬、化粧クリーム、外用薬の使用、歯を磨いて口を軽くすすぐこと、無意識に唾を飲み込むこと、身体を洗うことなどは、サウムを破ることになりません。

また、サウムを直接破ることにはなりませんが、けんかや議論、他人の悪口や猥談などはサウムの精神的な効果を落とすので慎むようにします。イスラームのサウムは単に食べないと言うことではないのです。食事をしないことによる空いた時間を、こんな悪い方向に向けないように気を付けたいものです。

サウム中するべきこと、許されること

ラマダーン月はサウムという行を通じて、自分を精神的に磨く月ですから、普段よりもよい生活習慣を心がけるべきです。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は次のようにおっしゃっています。

ラマダーン月、祝福の月が近づいてきた。その月の間には、アッラーはあなたたちの方を向かれ、かれの特別の慈悲を下される。またあなたたちの過ちを許され、祈りを受け入れられる。あなたちが良い行ないをお互いに競い合うのをご覧になり、天使たちの前であなたたちのことを自慢される。だからアッラーに対し、自分の良い所を見せなさい。真に最も哀れで不運な者は、この月にアッラーの慈悲にあずかれなかった者である」

そこでこの月には、普段よりずっと多くの時間を崇神行為に費やすべきです。まず、ラマダーン月とクルアーンには密接な関係があります。クルアーンの最初の啓示はこの月に下されました。そこでラマダーン月に一度、クルアーンの始めから終わりまで読破することが強く薦められています。

次に、義務のサラートは当然のこと、スンナのサラートやナフル(任意)のサラートもたくさん行なうべきです。ズィクル(アッラーの御名の唱念)やドゥアー(祈願)もいつもより多く行なうよう心がけます。

またサウムの目的の一つは、飢えや貧困とはどんなものかを体験して貧しい人に対する親近感を育てることにあります。ですから、施しをすることはサウムの目的に強くつながっていて、ムスリムは余裕のある範囲で、できるだけ多くの施しをすることが薦められます。たとえ金銭でなくても、サウムを解くときの食事に人を招いて一緒に食べることもその一環です。

また、多くの人がザカートの決算日をラマダーン月にしています。一年の貯蓄の2.5パーセントを貧しいムスリムに施します。サウム中でも仕事をしたり買い物をしたり、禁じられていること以外は普通の生活をしてもかまいません。ただ、ラマダーンというこの聖なる月を良い機会に、仕事などの日常に全てをかけるのではなく、人間が生きている目的やアッラーの偉大さなどに思いを巡らせ、自分の人生をひとまず立ち止まってゆっくりと考えてみることが大切です。ラマダーン月というのは、まさにそういう精神的な意味のある月なのですから。

[サウム 断食 – Islamic Center Japan]

音楽禁止という解釈

この月には、普段よりずっと多くの時間を崇神行為に費やすべき

音楽を含めた娯楽を控えるべきという解釈は、おそらくラマダン月を聖なる月として普段より信仰について考え、祈りに時間を使うべき、というところからきてるのだろうと思われます。上記に記載したラマダン中の禁止事項と成すべきこと、の図にもあるように、娯楽は、「Useless Activities/不要な行為(Don't waste your time on useless activities/不要な行為で時間を無駄にしないこと)」と解釈されるようです。

確かに、私自身飲食喫煙を控えただけでも、随分な空き時間が増えることを実感しました。ラマダン月はその空いた時間を祈りに捧げるべきとされているのですね。

私は祈りこそしませんでしたが、「イスラムの断食」ということについてベットに横になりながら考えていました。(空腹で疲弊するが眠ることもできない)

「音楽も禁止らしいぞ」「そういえば保守派プロテスタントにもロックミュージックとか聞いちゃいけないみたいな教えを持つひとたちがいたな・・・。」「なんで宗教は音楽を禁止するのかな・・・」等々。

音楽のない無色透明で無機質な世界

音楽が禁止という情報を得たので、無音の部屋でしばらく横になってみる。

無音、そのまま目を閉じて、じっとしてみる。寮の白い壁が、ことさらに白く感じられて、自身が透明になっていくような、それでいて呼吸音が身体に響いているのが聞こえる。

ふと目の前に浮かんできた情景がある。「禁じられた果実(Kielletty hedelmä)*2」というフィンランド映画の一コマだ。これは、フィンランドの保守的なキリスト教プロテスタントコミュニティに暮らす少女達のひと夏の逃避行(ヘルシンキでの数週間)を描いた映画である。

友人を無事に逃避行から連れ戻したラーケルは、自宅で彼女がこれまでの16年間ずっとそうしてきたように無音の台所で皿を洗っている。台所の戸棚には、緊急時用のラジオが置かれていた。彼女はラジオのスイッチに手を伸ばし、軽快なロック音楽が無音で無機質だった台所に流れ出す。無表情で家事に従事していたラーケルの顔もほころび、彼女は台所で静かに踊り出す。

お酒、異性、派手な服装、メイク、ダンス、そして音楽が禁止された世界から初めに失踪した友人のマリアは、逃避行前に「もっと世界を知りたい、もっと世界を感じたい。」というようなことを口走った。何も知らない、何も感じない、何もない、生きてるってもっと何かを、世界を感じることなんじゃないの?彼女はそう思ってコミュニティから逃亡する。

音楽のない世界は、無色透明の無機質な世界だ。色のない、世界。なぜだかはわからない、無音は、色をひどく褪せさせる。イヤホンを耳に入れ、再生ボタンをタップしてみて、わかったことがある。

脳に流れ込む音楽は、まさに色彩そのものだった。

僕たちは世界を彩る色になれるか

神様*3が、初めてこの世界に在ろうとした時、きっとそこには神様が在るだけで、きっとあんな風に、無色透明の無機質な世界だったに違いない。そこに自然や動物が現れて、人間が現れた。「(誤解を助長しそうなのであえて言いかえるとすれば)この世界に初めて存在の意志を持って存在した何か」が、その後の存在を望み、連鎖的に我々をこの世界に存在させたとするならば、きっとその何か/誰かは、ちょっと寂しかったのだろうと思う。

そして、ペンキのバケツをぶちまけるように、あるいは繊細に刺繍を編みこむように、存在というものを創り出していったのではないか。その存在は、生きるために音をたてる、呼吸音、咀嚼音、排泄音、移動音、鳴き声、言語、そして歌。最終的に人間は楽器をつくりだして、「音楽」を奏でるようになった。世界は色彩豊かに息づいていく。

絵具を混ぜて色を作ったことのあるヒトなら、すぐに理解すると思う。混ざり過ぎた多色の末路は「黒」である。

照明をいじったころのあるヒトなら、知っていると思う。混ざり過ぎた多色の光は、「白(無色)」である。

おそらく私たちは「目に見える在る存在」は、絵具であり、おそらく「目に見え無い存在」は、 光である。

私たちは、無色透明な世界を彩る色である。音楽は私たちの創りだした新しい色なのかもしれない。人間の鮮やかな感情が旋律と言語、歌声によって一度に表現される。よく考えてみるとこれはすごいことなのだ、「一曲」の時間の中でどれだけ複眼的に人間の感情が描かれているか。音楽とは、奇跡的な手法で立体的に物語を描き出す手法なのである。

音楽って、すごいな。

www.youtube.com

*1:Ramadan in the Workplace | HuffPost

*2:戒律の厳しいキリスト教原理主義の村に暮らす18歳のラーケルとマリア。普通の10代らしい生活への憧れと好奇心からマリアは都会のヘルシンキへ向かい、彼女を誘惑から守るよう命じられたラーケルも後を追った。神の名の下に質素で厳格な環境で暮らしていた青春期の少女たちにとって、大都会で目にするもの、体験するものは、どれもが刺激的でまぶしい輝きを放っていた。信仰と欲望の狭間で葛藤するふたりの少女の心情をリアルに描き出した意欲作。[フィンランド気鋭の映画7作品を特集上映『フィンランド映画祭』開幕 | ORICON NEWS]

*3:厳密には神道で言うところの神々ではなく、『旧約聖書』の創世記に在る「エロヒム」を想定する